お義父さんの命日はお彼岸

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6年前のお彼岸の中日(3月20日)に大往生した義父、90歳でした。

前後各3日を合わせた各7日間を春のお彼岸といいます。

北海道出身の夫と結婚したので、里帰りした時よくあっちこっちに連れて行ってくれました。お盆とかお正月に行くのですが必ず近くの温泉旅館に皆で泊まりに連れて行ってくれました。

お正月料金で高いだろうと思い申し訳ないので、後でお義母さんに旅館代を渡そうとしても絶対受け取らない。それどころか帰りに飛行機代と言ってお小遣いをくれたりする。

行き帰りに滝などの名所に寄ったり、丹頂鶴を見に連れて行ってくれたこともあった。

東京生まれの私に北海道の良さを教えてくれようとしていたんだと思います。同時に、今だからわかるけど息子が帰って来てくれるのが嬉しかったのですね。あと商売をしているのでお盆とお正月に家族で旅行に行くのを楽しみにしていたのかも。

義父が亡くなったのは3月20日。少し前からそろそろ危ないとお医者さんに言われていたのだけど、お正月は持ち直したので夫は帰省しなかった。で、連休なので夫が帰省し、たまたま病室でお義母さんとお兄さんと夫とお義父さんの4人家族が揃っていた時に亡くなったとのこと。

まるでその時を待っていたかのように。。

遠く離れて暮らしていた家族の最善のタイミングだったんですね。

私はフルタイムで仕事を持っていたので、お葬式で会社を休むと他の人に迷惑がかかると思い、最初は休みは最短で行って帰ってこようと考えていました。

しかし飛行機の予約をしようとしたその時、心の中でお義父さんの声がはっきりと聞こえた(北海道弁)。

「〇〇さ~ん、そんなすぐ帰るなんで言わずにこっちで美味しいものでも食べてゆっくりしてって~。」

はっとした。

ホントそうですよね。長年お世話になった義父。急にいなくなるなんて。夫なんて、お葬式に行くのに黒いネクタイがないって言うから買えばと言ったら、「親父に借りるよ。あ、親父いないんだ。」みたいな感じで(笑)。

仕事もそう忙しい時ではなかったので心穏やかに家族でゆっくりとお別れしてきました。大学院生だった長男とも最後の春休みで一緒にゆっくり過ごせた。次男だけは短期語学留学していたので参列できなかったので私が代わりにお花を送った。

亡くなる人は家族があまり忙しくない時を選んで逝くという話を聞いたことがあります。義父も私の父もホントにそうでした。生き仏のような優しいお義父さんだったなあ。

お彼岸に亡くなる人はすぐ成仏すると聞いたこともあります。

その日は亡くなった身近な人々を想って過ごしました。


義父は若い時に戦争へ行って、シベリアに抑留されていたことがあったそうです。回りはバタバタ亡くなっていったけれど、丈夫だったから生還できたとのこと。もし親父が死んでいたら僕はいない、と夫はよく言っていました。帰省した時に、私は「聞いておかなければならない」と感じて何度かシベリア抑留の経験を尋ねたのですが、「まあまあ」などと言って決して話してはくれませんでした。余程のことだったのだと思います。

そういえば孫が生まれて東京に遊びに来てくれた時にどこか行きたいところはあるかと聞いたら、靖国神社とのこと。それで家族で一緒に行ったことがあったなぁ。

↓これも不思議な本です。目からうろこでした。

死んだらどうなるの?
桜井識子(著)

桜0320
今年の井の頭恩賜公園の桜