「私」と言う男の生涯(著:石原慎太郎)

book/考えごと/
  1. ホーム
  2. book
  3. 「私」と言う男の生涯(著:石原慎太郎)

「私」と言う男の生涯」備忘録。
とにかく非常に面白く興味深かった。

作家であり政治家。元衆議院議員、元東京都知事。俳優・石原裕次郎の兄。政治家・タレント・画家になった4人の息子がいる。2022年2月に89歳で亡くなった。妻は、ほぼ1か月後に亡くなる。
この本は本人と妻が亡くなった後に出版されるよう指示し、校正ゲラのチェックを4度済ませていたという。

議員在職25年表彰の演説にて、「日本の政治に失望し、これに関わった自分にも恥じており云々...」と言い辞任したことで有名。
政治のくだりを読むと、政治家の仕事は派閥権力抗争がメインとなっており国家運営は二の次なのではと思えた。今さら言っても仕方ないが。

石原慎太郎氏、近くにいたら「面倒な人」なのかも知れないが(失礼)、このくらい我が強くないと政治家は務まらないであろう。権力を持ち、横槍には「黙れ」という。笑 勉強家で知識人であった。

宇宙物理学者ホーキングの講演を偶然東京で聞いた。
……..「現地球ほどの文明が誕生発展するとその星の生物を支えている「自然」の循環が著しく阻害されてしまい、その惑星はきわめて不安定な状況をきたし、宇宙時間からすれば殆ど瞬間的に消滅する」と言った。
そこで私が「ならば宇宙時間での瞬間的と言われる時間帯とは、地球時間にしてどれほどのものか」と質したら、これまた言下に「およそ百年ほどだろう」という答えが返ったものだった。

「私」という男の生涯

2度大臣を経験し、一度目は環境省。大臣になってすぐ次官が好きなところへ視察に行って良いというので「水俣」と言ったら、役所全体が全力で止めてきたとのこと。自分でも独自のルートで調べていたが、役所は繊維産業の停滞を恐れて、有機水銀による中毒の報告書を隠していた。
水俣の名産物「ハモ」を仕入れている大阪のハモ問屋の主人が、試食しているうちに中毒となり原因のわからぬまま入院していたり...。恐ろしくも興味深い逸話が次々。

その後、また他に適任者がいないと感じて都知事となり、以前より東京のスモッグが気になっていたこともありディーゼル車の東京への乗り入れを全面的に禁止し、東京の空気を汚染から救った。細かいことはさておき、それだけでも偉大なことだと思う。私の子どもの時は東京に光化学スモッグが出た時代。若い時、ビルの高い所から景色を見渡すと、東京は茶色い空気のドームに覆われていた。それが、ディーゼル車を規制してからしばらくして「茶色いドーム」がなくなっていたのだ。
その後、空気の汚染がなくなったことで東京都では喘息患者への医療費の補助もなくなったりした。東京の多くの喘息患者も減ったのではないか。

戦前に生まれ、子どもの時から読書にハマっていた著者。父がそれに気づき本代には糸目をつけなかったという。高校の時に父親が亡くなり、京大仏文でも行こうと思っていたら下宿するお金がなくなったので、一橋の法学部に行った。日本にできたばかりの「公認会計士」になろうと思ったが向いていないと早々にあきらめた。ただ、一橋での様々な出会いと、ひょんなことから学生の時に「物書き」でデビューできた。わずかな親の資産を弟が放蕩して使い、遊んでいたこと等を書いた本が当たって映画化したり、映画に弟を主演にさせたり。ひょんなことから日生劇場の建立に関わったり。
ときにはハッタリも見せつつのし上がっていった。
弟の石原裕次郎ともどこか助け合って生きる運命だったのだなぁ。

一橋に行ったことも無駄ではなかった。官庁や自治体会計に単式簿記・現金主義会計が採用されている現状に疑問を持ち、都知事就任後、2002年に新たな会計制度を導入すると宣言。2期目の2006年、東京都は他の自治体に先駆けて、会計制度に複式簿記・発生主義を採用した。

実績は羽田空港の国際化等まだまだたくさんある。

親交のあったフィリピンの上院議員のベニグノ・アキノは亡命の後、帰国したマニラの空港で同時の独裁者マルコス大統領によって暗殺された。親交のあった著者は電話で帰国を思いとどまるように何度も説得したという。だが最後に感謝の言葉と共に電話は切れ、アキノ氏は暗殺されてしまった。

また、政治家中川一郎の謎の死のこと、腐れ縁ともいえる立川談志の死のことも...。

声が全く出なくなった談志に電話で、
「やいおまえ、俺がせっかく久しぶりに今度はおまえに石炭をたいてもらおうと思ってたら、もう直にくたばるそうじゃないか。まあそれならしかたないが、その内またどこかで会えるだろうからそれまで達者でいろよな」

「私」という男の生涯

談志とはあの世で会えただろうか...。

家の外に数々の女性がいたということも、むべなるかな。
そんなことは小さいことと思わせる山あり谷ありの89年であった。

政治家の時のことはこちらに↓

本書には、弟・石原裕次郎の子どもの時の(ちょっと恐い)逸話も少し出てきた。

石原慎太郎
誰もがそうだが、この人も全力で生きたんだなぁ。