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  3. 建築家 伊藤裕子さんのこと

美大時代の友人に女性で建築家になった人がいました。

その人はとても優秀で絵が上手く、いつも課題は「最優秀」でした。優秀賞をもらうとたしかスケッチブックをもらえました。私もがんばっていましたが、一度スケッチブックをもらったくらい。

とにかく彼女の作品には突き抜けたものがあった。絵の才能もあったと思う。

青森出身の彼女とはなんとなく馬があって、一年生の夏休みにはお互いアルバイトをして金沢に二人で旅行をしました。なぜか金沢に行こうということになって、兼六園とか香林坊とか古い町並みとかを観て、半島をバスで一周したのを覚えています。当時は金沢21世紀美術館もまだなかった。七尾とか輪島って名前を覚えているからたぶん行ったと思う(笑)。

私は2年生からは旅行のサークルに入ってしまったので、彼女と旅行に行ったのは一度きりだったけれど。

彼女とは卒業して就職してそれぞれ結婚してからも細々とつながっていて、時々連絡を取ったり。それぞれ長男と次男を産んだのですが、それも偶然に同じ歳でした。

で、ある時私が高校生向けの進学ネットのwebディレクターをしていた時、「仕事紹介」という企画を考えて実行することになりました。「建築家」を取り上げて彼女に取材させていただき、ご自宅にお邪魔して特集ページを制作しました。インターンシップの学生さんが二人いらしていた。つい先日までネットで公開されていました(今はもうない)。

その時に、設計事務所を立ち上げていた彼女に、良い営業方法がないかと相談されました。当時、ブログマーケティングが主流でSEO的にもブログは強い、ということを伝えたら「やってみる」と言っていました。ブログで作品や人柄を知ってもらえると仕事につながることがあるよ、と。(今から、12~13年程前)

その後彼女が立ち上げたブログを私も楽しみに読んでいました。彼女が設計したシンプルで木の素材や緑を生かした素敵な住宅の写真や、ルイスポールセンの照明器具、イッタラ(Iittala)の食器の紹介、息子さん達の心温まるエピソードなどが書かれていて、ブログ経由で注文住宅のお仕事が来ているようでした。

ルイスポールセンの照明器具 ↓↓

私が銀座のブラック広告代理店にいて悩んでいた頃、お昼にランチを食べながら愚痴を聞いてもらったこともありました(わざわざ来てもらってすみません。。)。

Iittala ↓↓

それから3~4年後、六本木で輸入システムキッチンメーカー(?)か何かの新製品のレセプションパーティのようなものがあった時に、呼んでくれたことがありました。立食パーティみたいな感じでお酒とか食事があって、帰り道にあったアマンドでお茶をしました。ケーキとお茶でおしゃべりして。

そしておごってくれると言うので、「いいよいいよ」と断ろうとしたのですが、「ブログ経由で仕事が来るようになったことをずっとお礼を言いたかった。」と言っていました。

結局、その時が彼女と会った最期になってしまいました。

私も一時期フリーランスをしていたのですが、またフルタイムで会社勤めを始めたので時間がなくFacebookも全く見なくなっていました。

一度、彼女のブログを見たら、忙しいのでしばらくブログをお休みしますと書いてあり、次男氏も就職が決まりそうなのでご安心を、という内容でした。順調に忙しくしているんだなぁと思っていました。

それから3年は経ったある日の朝、通勤電車でふと彼女のことを思い出した。最近全然会っていないし、そろそろ会いたいなぁ。ブログを読んでみようとスマホで見に行ったら、ブログが見つからない。おかしいと思って名前で検索したら、他の方のブログで彼女が亡くなっていたことを知りました。↓

伊藤裕子さんのこと

それも、命日がその時のちょうど3年前の同じ8月23日だったんです。全く知らなかった。結構それが衝撃でした。

もうこの世にいないことを、そろそろ私に伝えたかったのかなぁ。亡くなる1年半前に末期がんがわかったそうだけど、闘病中は病気のことを仕事関係の人達に悟らせなかったらしい。気を使わせないように配慮したんだろうなぁ。

後から考えると、私もその年の6月に入院・手術していた。8月頃はお勤めも復帰してテンパっていた頃だな。私は手術で一応完治して今はかえって健康になっているくらいだけれど。。

わたし
わたし

彼女の分も生きてまだまだ人の役に立つべくがんばります…

人を悪く言うことが全くない人で、一緒にいて心が安らぐ人だったなぁ。前向きで勉強熱心で。彼女の現場は楽しくて気持ちの良い現場だ、また一緒にやりたいと皆が言ったらしい。そんな記憶を多くの人に遺せた彼女は人生をちゃんと全うしたのだと思います。生き仏のひとりでした。

昔は女性が仕事をしたり、子どもを持ってから続けることに困難を伴うことが多かったけれど、私は少なくとも折に触れ彼女の存在に励ましてもらったなぁ。もしかしたら前世で励まし合うことを約束していたのかも知れない、とも思う。

思い出すたびに、心の中で話しかけてご冥福をお祈りしています。

「仕事に愛情のない人」「裏表があって、不満を持ってる人」は、現場に加わらないよう、気を付けてます。

伊藤裕子設計室ブログより

わかる!! 実際、グレーな組織ってそういう人が多いんですよね。かなり能天気な私でもできればそうしたいです。

昔、ブログで彼女から教えてもらった、グレープフルーツのいいにおいで置いてもおしゃれな、男の子でもトイレをお掃除できるクリーナー(コンランショップにもあり。今でも愛用してます。)
Murchison-Hume ボーイズバスルームクリーナー↓↓

彼女が注目していた建築家ザハ・ハディドさんも、奇しくも2016年3月に亡くなっていましたね。(伊藤裕子さんは彼女の名刺も持っていた。)ザハ・ハディドさんの影響を受けた人も建築家やインテリアデザイナーなどたくさんいます。

建築家伊藤裕子
バリアフリーで自然素材と緑と調和した家を設計していた建築家伊藤裕子さんのこと