NHKスペシャル取材班による本です。たまたま図書館に別の本を探しに行って、隣にあった本を借りて読んでみました。
母が90歳を超えて「お別れ」が近づいています。想像するだけでも辛いですが仕方ありません。母は腎臓は悪いのですが、頭も比較的しっかりしています。他に病気はないので最期は老衰で亡くなるかも知れません。
また、人は何年後かわかりませんが必ず死にます。
結論から言うと、老衰死は辛くなさそうですね。
この本は、NHK取材班がドキュメントパート(特別養護老人ホーム・芦花ホームでの実際の看取り)とサイエンスパート(日本の状況、各国の対応、各国の医者に取材など)に分かれて取材したものをまとめています。
医者は、人命を助けるのが仕事なのでつい治療・延命を試みるのが普通です。
私たちは高齢や脳梗塞・認知症になっても、柔らかいものでも口から食べたり飲んだりできるうちは大丈夫。いよいよ食べられなくなった時、どうするか。
例えば、「80歳、認知症10年、意思疎通は困難。口から食べられないため点滴で栄養・薬剤を入れている」という場合、フランス、イギリス、オーストラリアでは「本人の尊厳の保持」を理由に、胃ろうなどの積極的治療は行わない割合が高い。(国際長寿センター2011年)
アメリカの老年医学会(AGS)も「重度認知症高齢者への経管栄養は勧められない」としている。経管栄養をしても生存期間を延長することにつながらないという。
介護保険施設の入居者約100人のある統計データによると、同じ栄養を摂っていても体重が亡くなる一年半~一年前までに徐々に減り、最後の数か月にはがくんと減るとのこと。つまり「食べたものが身にならなくなる。」らしい。
老化に伴う細胞数の減少によって小腸が委縮し、栄養を摂り込む力が衰えていく。
点滴で経管栄養するしないにかかわらず、余命の長さは変わらないらしい。点滴は辛いので嫌がる方も多い。確かに点滴がずっと腕についているのは嫌ですね。
芦花ホームで、いよいよ最期に老親が眠ったようになり会話もできず、ものを食べたり飲んだりできなくなって何日か経つと、家族は「のどが渇いているんじゃないか」とか「お腹が空いているんじゃないか」と心配する。
しかし、顔が穏やかならば苦痛はないと考えた方がいいようです。
風邪を引いた時に食欲がなくなるように、身体のあちこちで慢性炎症が起きているために食欲はなくなるらしい。なので飢えて辛いことはないようだ。
また、余命が数日となるあたりから一日の大半を眠っている状態「傾眠状態」になり、いよいよ死が近づくと呼吸が変わる(肩で呼吸したり下顎呼吸となる)。一見、呼吸が辛いのではないかと心配になるけれど、これも残りは一日もないくらい。私の父の時もそうだった。
(こうなると医師には余命半日から一日くらいとわかるので、親族が呼ばれるんですね。)
日本では数年前までは、病院で脳疾患などで70代で食べられなくなると、胃ろうにするしかなかった時代がありました(まだ若いという理由で)。
自然に亡くなるのではなく軽度の肺炎で亡くなる時でも苦痛はないと考えられている。肺炎で亡くなる高齢者は、眠るように穏やかな最期を迎える。こうした段階にある患者の脳は、老化に伴う慢性炎症などによって機能低下しているため、痛みを感じることはなくなっているそう。
また、イギリスやアメリカでは肺炎を「老人の友達」というらしい。肺炎で穏やかに亡くなるのなら老衰で亡くなる時も同じように痛みは感じないのではないかとのこと。
意識がなく穏やかに眠り続けている患者でも、足の骨の折れているところを触ると苦痛に顔をゆがめたことから、穏やかに見えるならば苦痛はないというエピソードを話したエディンバラ大学の医師の話もありました。
脳が「もう回復できない」と判断すると意識レベルが下がり、深い眠りに落ち、痛みから身を守っているようにみえる。まだ現時点で答えは出ていないけれど、と本には書いてあった。
「死は受け入れるものである。」
「死は負けではない。」
スウェーデンの老人ホーム。毎日午後三時にはワインパーティ。いろいろ経験して今、人生を楽しむ人たち。
イギリスの老人ホームでは、月一度、終末期はどうしたいか本人と面談し、「本人の最も新しい意思」を確認するという。
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